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イマゼキ ユウタ
IMAZEKI YUTA
今関 裕太 所属 センター 国際交流センター 職種 講師 |
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| 言語種別 | 日本語 |
| 発行・発表の年月 | 2020/11 |
| 形態種別 | 論文 |
| 標題 | 【試論】ゲゲゲのキットラー |
| 執筆形態 | 単著 |
| 掲載誌名 | 『メディウム』 |
| 掲載区分 | 国内 |
| 出版社・発行元 | 『メディウム』編集委員会 |
| 巻・号・頁 | 1,149-170頁 |
| 総ページ数 | 22 |
| 著者・共著者 | 今関裕太 |
| 概要 | フリードリヒ・キットラーと水木しげるはどちらも、兵器のように使い捨てられる人体が損傷し四散する近代戦争を、テレビやラジオなど平時の娯楽として利用される補綴的メディアの出現を促した歴史的条件とみなしていた。また、両者はともに、メディア技術を単なる装置や機器としてではなく、人間にとって本来は無意味な物理的現実に充満するノイズから一定のシグナルを知覚的条件に合致する形で選びとる作用ないし機能と捉えていた。しかし、こうした共通点は同時に、水木がメディア技術とともに描き出そうとしたのが妖怪という彼岸的・非歴史的な存在だった一方で、キットラーがメディア技術を通して見据えようとしたのは西洋世界における認識論の布置の変化という此岸的・歴史的な事象だった、という差異を浮かび上がらせる。その要因として考えられるのは、水木が直接的に経験した戦場の現実についてキットラーは間接的な知識しか持たなかったという、決定的な世代差である。 |